この世の色々な法則を探求するブログ

「この世界はこういう仕組みで成り立っている」という真理に思い焦がれつつ、死ぬまでに1つでも多くの法則を理解・発見するために日々生きております。これまで生業として来た物理学、数学、人工知能などの分野を中心に、日々の考察日記を綴っていきたいと思います。

社会全体がベイズ主義的になって来ている?

久しぶりの更新です。主に自らの備忘録のために思い付いた事をそのまま綴りますので、かなり粗削りな適当な内容になります事を、何卒ご容赦頂けますと幸いです。

ベイズ主義とは?

中学生の頃、数学で「確率」を勉強された方は多いかと思います。コインの表が出る確率は50%とかいうアレです。この50%という確率の数字の解釈の仕方には大きく「頻度主義」と「ベイズ主義」という異なる思想が存在します。「頻度主義」とは試行を無限回繰り返した時*1に着目する事象が発生する回数の比率(=頻度)が確率であるという考え方で、客観確率と呼ぶこともあります。先ほどのコイン投げの例で言えば「無限回繰り返し投げたら半分(50%)は表が出る」という解釈をします。中学、高校で学ばれた確率はこちらのイメージが近いかと思います。一方で「ベイズ主義」は、着目する事象が発生するという「確信の度合い」が確率であるという考え方で、主観確率と呼ばれることもあります。先ほどのコイン投げの例で言えば「次投げた時に表が出るだろうと思う気持ちと裏が出るだろうと思う気持ちの比率は、半々(50%)だ」という解釈になります。こちらの考え方はあまり馴染みのない方も少なくないかもしれません。この客観・主観の側面だけでも掘り下げると非常に興味深い(かつ悩ましい)世界が広がっていますが、今回はここには立ち入りません*2。この「頻度主義」と「ベイズ主義」は、それぞれの思想の違いを反映して、確率の数字を求めるプロセスが大きく異なります。「頻度主義」においては、客観という言葉からイメージされる通り、背景には(神のみぞ知るかもしれないが)唯一の正しいモデルが存在して、それを与えられたデータから出来るだけ真のモデルに近付くように推定するというアプローチになります。一方「ベイズ主義」では唯一の正しいモデルなどという考え方はせず、モデルはあくまで今持っているデータの範囲から得られる仮の物であり、新たにデータが得られたらそれをフィードバックして都度更新していくプロセスを取ります。乱暴な言い方をすると、「頻度主義」では最初から「なるべく完璧に近いモデルにしなきゃ!」と考えるのに対し、「ベイズ主義」では「今のデータではこのくらいのモデルだけど、随時データを増やしてモデルを改善していけばいいや」と考えるイメージです。

現在の社会に見られるベイズ主義的な側面

さて、この後者の「ベイズ主義」の考え方は、データサイエンスを始めとする学問的・技術的な分野で存在感を増しているのは周知の事実かと思いますが、この物の考え方といいますかパラダイムが無意識に社会の隅々に浸透して来ているように最近感じることが多いのです。例えばビジネスの世界で仮説/検証やPDCAのような言葉が登場したのは何も最近のことではありませんが、近年は要求されるスピード感がどんどん増すことで「仮説」や「P=Plan」の"仮の物"感(=最初は間違っていていいから取り合えず一旦仮説を立て、それを継続的に改善していけば良い)が強くなっているように感じます。同じような事は、ここ数年のCovid-19関連の政策にも求められていたと感じていて、感染拡大とそれに対する施策の効果を完全に予測するモデルは当然そう簡単に(永遠に?)構築出来る物ではありませんが、求められていたのは完全なモデルなどではなく、今あるデータから仮でも良いので仮説を立てて実行しその結果を受けてまた仮説を修正する一連のプロセスだったように思います(求められていたけれど十分に応えられていなかったので、社会の不満が爆発していたのではと思います。)。それから客観/主観という側面では(絶対/相対と言い換えても良いかもしれません)、SNSによって趣味や気の合う人だけと繋がりを広げたり深めようとする傾向などは、主観的/相対的な価値観の強まりを象徴しているように思えます。総じて、「何か正しい唯一の考え方や正解があり、そこに到達しなければならない」という考え方を持っている人は減っているように感じられ、「色んな可能性がありつつ学習しながら自分にとってより良い考えを獲得出来れば良い」という世界観を、意識的であれ無意識的にであれ、有する人が増えているのではないかな?と感じることが多いです。そんな社会の風潮と同期するかのように、それらと親和性の良さそうな、ベイズ統計や機械学習機械学習も根本的な考え方はベイズ主義に通ずる物があると思います。)が最近ビジネスシーンでも脚光を浴びるようになったのは、偶然ではないのではなかろうか?と思うようになりました。

なぜ今の社会とベイズ主義的な思想は相性が良いのか?

このようなベイズ主義と昨今の社会の傾向の関係性を考察するために、図1に示すような時間スケール×世界観という2軸に整理してみました。

図1:時間スケール×世界観マトリクスへのマッピング(頻度主義/ベイズ主義)

まず、頻度主義とベイズ主義は、上述の思想やプロセスの特性から、それぞれ右上と左下の領域に位置付けられます。次に、同じ図に社会における様々な活動をマッピングした図が、図2になります*3

図2:時間スケール×世界観マトリクスへのマッピング(社会活動)

ここで改めて2つの軸の説明をしますと、縦の世界観軸は上にいくほど「唯一の(または全ての人に当てはまる)正解が存在し、BESTを求める」世界観に、下にいくほど「正解は沢山あり(人によって異なる)、BETTERを求める」世界観に、なることを意味しています。横の時間軸は左にいくほど「変化・進歩が速い」ことを、右にいくほど「変化・進歩が遅い」ことを意味しています。例えば、物理学に代表されるような自然科学は、基本的に真理という名の正解を追求するので上の象限に、その厳格さ故に進歩のスピードは比較的緩やかなので右の象限に、位置付けられるといったイメージです。この図を見ると概して、最近新たに発生したサービスや、今現在多くの人にとって関心の強い分野は、殆ど左下の領域に集中するように見えます。つまり、人々の関心事は右上の領域から左下の領域にシフトしてきており、近年ベイズ統計や機械学習がビジネスや社会課題の解決手段として積極的に採用されるようになったのは、こうした社会の機運と整合性が良いためではないか?と考えています。この記事のタイトルでもある「社会全体がベイズ主義的になって来ている」ような感覚を持つ所以も、この4象限において両者が同じようなポジションに位置するためではないかと考えました。

求められているポジションとギャップのある分野は、この先厳しくなる

このような左下の象限に働く引力を生んだ大きな要因はインターネットの出現・普及だと思います。横軸の時間スケールについては言わずもがなかと思いますが、ネットにより技術革新のスピードが飛躍的に増大していることに異論のある方は少ないと思います。縦軸の世界観については、ネットの出現によりこれまで交わる事のなかった圧倒的多数・多種の人々の情報が手に入るようになり自分と全く異なる価値観に直に触れる機会が増えた事、そしてその価値観が時間と共に急激に変化していくのを目の当たりにする機会が増えた事で、「絶対的な正しさというのは存在しない」し「それを求める必要もない」という感覚が醸成されていったのではないかと思います。そしてこの傾向は、今後ますます強まっていくと思います。技術革新のスピードが緩まる/緩める大きな要因は今の所考えられませんし、絶対的な少数の価値観から相対的で多様な価値観に向かうのは、エントロピーの増大という自然の摂理にも適っているように思えるからです。そうなった時、この先、図2にマッピングした様な各分野の活動はどういった未来を迎えることになるでしょうか?左下の象限に位置する活動は今後も急速に変化・発展を続けていくでしょう。一方で、右上の象限に位置する活動は、大きく2つのグループに分けられ各々異なった未来を迎えるのではないかと思っています。1つは、本質的にこの象限に位置するべき活動で、社会からもそう求められている活動、もう1つは、本来は左下の象限に位置することを社会からも求められているにも関わらず、何らかの理由で右上の象限に留まり続けている活動です。前者はこの先も相対的に緩やかな発展に留まるかもしれませんが、社会に必要な機能としてそのまま存続するのではないかと思います。と言いますのも、右上の象限の活動を見ると食や社会インフラなどなくては生きていけなくなる極めて重要な物が多くを占めており、これらが重要であることは今後も変わりませんし、寧ろこれらがあるからこそ左下の象限の活動を発展させられるからです。そしてこのような分野は、基本的に「正解」を求める世界観の方がよく適合すると思います。失敗が許されないこれらの分野では、仮説ではなく確固たるファクトを知見として蓄積する必要があります。例えば、物理学では途中段階では膨大な仮説検証を繰り返しますが、最終的に物理法則として後世に残る物は膨大な批判的検証を潜り抜けて生き残った「ファクト」と呼べるべき物だと思います。後から新しい理論がより大きな枠組みとして過去の理論を包含する形で発展することはありますが、基本的に「過去のあの法則は誤りだった」ということは起こりません。だからこそ長年に渡る叡智の積み上げが可能になり、その確固たる物理法則*4を応用して今日も安全に新幹線や飛行機に乗ることが出来る訳です。そしてこれは社会からも、そうあって欲しいと思われていると思います。(この飛行機はまだ完全に正しいか分からない仮説としての物理法則に基づき設計されています、なんて言われたら恐ろしくてとても乗りたくないですよね。)一方で後者の、本来は左下にあるべきなのに右上に留まっている「ギャップを持つ」活動は、この先次第に衰退していくか、もしくはどこかで左下に姿形を変えて移行していくのではないかと思っています。政治などはこの例だと思っていて、社会の多くの人は左下の象限としての活動を求めているのに対し、実態としては右上にあるように感じています。例えば「選択的夫婦別姓が未だに認められないのって、一体どうして?("選択的"なのに、何が問題なの?)」というのが恐らく多くの社会人の自然な感覚(左下の象限)なのではないかと思いますが、政治の実行主体の内部においては恐らく右上の象限の引力が根強いため、未だに実現しないのではないかと思います。ただし、このギャップを孕んだ状態は構造として歪な上、今後左下の引力がますます強まっていくとその歪みは大きくなる一方なので、どこかでその歪を解消するメカニズムが発生するのではないかと思います。例えば今回のコロナ禍では、一時的に左象限(スピード感を持った対応)になることを否応なく求められて急激に歪みが増加したので、行政のデジタル化が動き始めたのはその解消メカニズムの1つなのではないかと思っています。まとめると、自分の活動のポジションは今現在4象限のどこに位置していて、それは社会が求めているポジションと一致しているだろうか?、という視点を持ちながら活動することが、今後重要になってくるのではないかと思います。

*1:数学的に非常に乱暴な表現ご容赦下さい・・・

*2:自身の勉強不足で正しく書ける自信がない、という方が正直かもしれません

*3:エイヤで書いているため、粒度や階層の異なる物がごっちゃになっている点、ご容赦下さい

*4:データ分析をする中で、稀に物理法則にきちんとデータが従っているかを確認したりすることがあるのですが、通常の理論の裏付けのない相関関係と異なり信じられないほど綺麗な関係性を示すのを目の当たりにした時、やっぱり物理法則に裏付けられた関係性って凄いと感動した経験があります。

TOUR18 「一人」真世界

※「人間を被る」と新曲2曲については未配信のため割愛してあります。

真世界 : 4/16(月)川崎CLUB CITTA'

「一人」真世界 : 4/28(土)都内某所

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真世界 : 4/18(水)新木場STUDIO COAST

「一人」真世界 : 4/21(土)都内某所

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真世界 : 4/19(木)新木場STUDIO COAST

「一人」真世界 : 4/22(日)都内某所

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真世界 : 4/25(水)なんばHatch

「一人」真世界 : 5/1(火)名古屋

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真世界 : 4/26(木)なんばHatch

「一人」真世界 : 5/5(土)都内某所

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真世界 : 4/28(土)仙台銀行ホール イズミティ21

「一人」真世界 : 5/6(日)都内某所

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真世界 : 5/1(火)Zepp Nagoya

「一人」真世界 : 5/6(日)都内某所

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DIR EN GREY TOUR18 真世界 - 5/1 Zepp Nagoya -

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本来新木場2日目で見納めにしようと思っていた「真世界」。新曲「人間を被る」を入手したことで人間の被り方を覚えてしまい、我慢出来なくなって名古屋参戦を決意。そしてこの日は4/16(火)を皮切りに疾風の毎く過ぎ去ろうとしている「真世界」の当初のツアーファイナル(6月に追加公演が決定)。何かを期待してしまう。

この日の整番は1400番台。いつもの如く少しずつ丁寧に人を入れるこの会場で中に入ったのは開演10分前。やはり最終日だからか虜さん達が下手最前のドアから溢れ出ている。その最後尾で待機。ドアが閉まると同時に押しに乗ってセンターへ・・・行くはずがとっても、とってもちっちゃな押ししか起こらずそのまま下手で待機。暗転と同時に怒涛の押しが・・・!!起こらない・・・。後ろの虜さんも当然押しが来るはずと身構えていたためか「あれ?」という声が聞こえる。安定のZepp仕様。腹を括って下手での参戦を決意。たまにはいつもと違う景色を楽しもう。

初日バージョンのオープニング映像が流れる。DIRには珍しくあまりおどろおどろしさを感じさせないシックな映像とSE。今回拝めなかった2日目バージョンの、如何にもDIRらしい血みどろの惨劇の映像との対比が際立ち、これまでとはまた違う新しい世界観が打ち出されようとしているのを感じる。新世界かつ真世界。

今ツアー不動のポジションを貫いた『人間を被る』で幕開け。音源を聴き込んだ後なので、聴こえ方がこれまでと全く違う。

京さん「Blessing to lose heart!Blessing to lose heart!!」
虜さん「Blessing to lose heart!!」
京さん「生ーきーてーる!」
虜さん「誰のために生きる」

掛け合いもバッチリ。今日はこのためだけに参戦したも同然。早くも一曲目で目的が遂げられた。
勢いに乗ったまま『Different Sense』。「名古屋ーーーー!!」と早くも京さんの煽りが入り、人間を被り終えた後の開場の熱気が一気に爆発。

『滴る朦朧』で一気に別の世界に連れて行かれ『禍夜想』、続く『腐海』とどんどん深い場所へ吸い込まれていく。深海を揺蕩う水泡のような映像が、真っ赤に染まって血の滴のように。京さんを囲むように上から降り注ぐ赤い光線。曲の転換に合わせて蒼い光へと変わる。曲の世界観を増幅させる演出に圧倒される。煽る京さんに「何を掴んで何を捨てたの」の合唱で返す。

そこから一気に深みを脱して『霧と繭』『Midwife』と畳み掛ける。「かっさなって!」の掛け合いが最後の「かっさなって!」までかっさなって、そこから『鴉』と怒涛の首殺し。「飛び散る汗まで」客席に「かかってこい」とばかりの視線を送る薫さん。負けじと視線と拳を返す。

熱気が最高潮に達した所で一旦静寂。ポポン・・・ポポン・・・と不可思議な電子音が鳴り響き『新曲』が花開く。鬼葬ツアーの時に披露された時には恐らくなかったと記憶している、悲壮感を強くまとったシンセの旋律が重ねられる。スクリーンに映る詩。「人を失う怖さから」すすり泣くような声で歌う京さん。DUM SPIRO SPEROの頃が思い出され感情がぐっと込上げる。絞り出すように「その時気が付く 私の心をーー!!」と叫び歌った後、「上手く生きるためなんかじゃない」の力強く透き通る声。最後の「叫び生きろ」「私は生きてる」をそのまま表現するかのように、真っ直ぐに放たれる一言一言に心が締め付けられる。光り輝く水面。流れる雲。曇っていた何かが晴れて前に進みだすような映像。「Ranunculus」。「魅力的」という花言葉を持つ花。それは同じように不器用でもがむしゃらに真っ直ぐに生きようとする「みんな」へ向けられた言葉なんじゃないかな、と感じた。

『てふてふ』で一呼吸置いた後、『VINUSHKA』。「此処が真実だ!」ベースを掲げるToshiyaさんと、その奥で手を掲げる京さん。存在感の大きさに震える。その後丁寧にマイクスタンドを直すToshiyaさん。「名古屋ーーー!!」で火が付き、業と歩む会場。

自分的にこの曲のクライマックスである2サビで盛大に1サビの歌詞が投下される。そしてそこからそのまま客に歌わせる暴挙。
迷子の虜さん。

「生きている証と(=京さんに忠実派)」
「ざらつく津波に(=歌詞に忠実派)」



1つに・・・なれなかった・・・。



「ホアァァァァァーーーーーーーーー!!!」いつになく長い喉笛で幕を下ろす。

そこから全編歌詞変えの『DISABLED COMPLEXES』。更に畳み掛けるように京さんが会場を煽り、虜さん「Psychokiller!」京さん「Psychokiller!」の掛け合いに。熱気をそのまま受けて『Beautiful Dirt』。「最高のバラードを送ろう」の大合唱。「おいクソったれ!!」こめかみに人差し指を当てて煽る京さん。怒涛の勢いであっという間に本編が幕を閉じる。

一体感のあるアンコール。ほどなくしてメンバー登場。

会場を包む歓声が一旦静まり『Behind a vacant image』。

京さん「お前らの声聞かしてくれーー!」
虜さん「隠し切れない傷と満面の笑みで語りかけ」
京さん「もっとーーー!!」
虜さん「つぶらなひ・・・」京さん「つぶらな瞳闇を照らす答えがーーー」
って自分で歌うんかーい!!!

「みらーーーーーーーーい!」の後、薫さん、Toshiyaさん、京さんが揃って頭を振る光景に「あぁやっぱりこのバンド大好きだ」と胸が熱くなる。

『新曲(I CANNOT LOVE MYSELF)』、『Sustain the untruth』と続く。人差し指を高く掲げながらマイクで胸を強くガンガン打ち付け「もっと1つになれんだろ!」と言いたげな仕草で煽る京さん。「優しい声に」の大合唱。「パレードに朽木と・・・」歌いながら手でキツネを作りコンコンする京さん。

「まだいけんだろーー!!」と「詩踏み」が続き、会場の熱気が再び高まった後、

京さん
「男ーー!」「男ーーーー!!」「ぼおおどごーーー!!!」
「女ーー!」「おぉぉんなーーー!!!」
「そこーー!生きてるかーーー!!」
「そこーー!生きてんだろーーー!!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーー!!!!」

「なーーーごーーーやーーー!!」
「なーーーーーごーーーーやーーーーー!!!」
「なーーーーーーーーーーごーーーーーーーーやーーーーーーー!!!?」

思わず会場に笑いがこぼれる。

京さん
「ラーーーストーーーーーー!!!!」

当然の『THE IIID EMPIRE』。再構築で新たに加わったToshiyaさんの怪しげなベースのフレーズに合わせた手拍子は完全に定着。新たな儀式の完成万歳。爆裂Toshiyaさん覚醒でスタンドをポーーン!「Spark & Spark!!」で幕を閉じる。

今回も手でキツネコンコンした後、手を振って去る京さん。清々しい笑顔のToshiyaさん。淡々と凶器(スティック)を飛ばしてくるShinyaさん。Dieコールを受けながら去るDieさん。最後の最後まで会場に残ってくれていた薫さん。期せずして下手参戦になったお蔭でメンバー全員の熱気を感じることが出来た。全員に心の底から感謝のコールを送る。

スクリーンにツアータイトルが映し出され、虜さん達が捌けていく。若干の不完全燃焼感を残しつつもWアンコが起こる空気ではなかったので、自分も流れに乗ってそのまま最前のドアから会場を出る・・・。



と、その瞬間。
場内から「アンコーーール!!」の声が聞こえ全力で隣のドアから舞い戻る(このタイミングでちゃっかりセンターに移動。やっぱりここが落ち着く。)。「本日の公演は・・・」のアナウンスが流れつつも鳴り止まないアンコールの声。「駄目か・・・!?」「駄目か・・・!?」と思いながら自らも全力で叫ぶ。



「アンコーーール!」「アンコーール!!」「アンコーール!!!」「アンコーール!!!!」









と、ステージが赤く染まり大歓声が上がる。
まさかの緊急事態発生。メンバー再登場。



京さん
「遅えよ。」
「遅えよ!!」
「わかったか?」「いけるかーーー!!」



激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇』。
大合唱に包まれる会場。完全燃焼。



「Show me your lewd selfーーー!!!」の後、Dieさんの方を見ながら両腕をグイ!グイ!とやりながらガッツポーズのような仕草を何回かした後、満面の笑みを浮かべる京さん。Tシャツを脱ぎ、肉体美を披露するToshiyaさん。
改めてメンバー全員に感謝のコールを送る。




終演後「真世界」のパネル撮影に並ぶ長蛇の列が、ファイナルにふさわしいライブだったことを感じさせる。





ありがとう。

星の王子さまミュージアム

ちゃんと「ミュージアム

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奥さんのリクエストで箱根にある星の王子さまミュージアムに行ってきたのですが、

これが思いの外すごく良かったです。

雰囲気としてはディズニーシーの一角を切り取ってきたみたいな感じで、小さくてかわいらしい場所です。

が、それだけでなく「ミュージアム」としての色もちゃんとある所が素晴らしく、

色々と思索に耽りながら、子どもの頃科学博物館に行った時のような気分に浸ることが出来ました。

実は事前に本を読まずして行ったのですが、解説がしっかりしているので十分楽しめました。

逆にここで興味を持ったので、家に帰ってから本を読みました。


1本のバラ

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印象に残ったのが、王子さまが自分の星で大切にしていた1本のバラのお話。

ある日どこからか種が飛んできて王子さまの星で芽吹いた美しい花。

王子さまはその綺麗な花に心奪われ大切に見守ります。

やがて花は自分の美しさをはなにかけて

王子さまに我が儘を言ったりウソをついたりするようになり、

それでも1つ1つ真摯に応え続けていた王子さまは

ある日とうとう耐え切れなくなって星を出る決心をします。

そうして色んな星を旅したあと7番目に訪れた星、地球。

そこで王子さまは1つの庭にバラの花が5千ほども咲いているのを

見てショックを受けて泣いてしまいます。

「世界にたった1つだけだと思って大切にしていたバラの花が、

実はこんなにもごくありふれた花の1つに過ぎなかった」

するとそこへキツネが現れ、そのキツネとの対話を通じて王子さまは大切なことに気が付きます。

「ここに咲いているバラの花はどれも同じように美しい。

でも自分の星に咲いていた1本の花とは全く違う。

あの花は自分が水をあげたり、ついたてで風を防いだり、覆いガラスをかぶせたり、

話を聞いたり、心配した花。だから自分にとっては、あの花は世界にたった1つしか存在しない花なんだ。」

この花は著者のサン=テグジュペリさんの奥さんコンスエロさんがモデルとなっているそうです。

何かが自分にとってどれだけ大切なかけがえのない存在になるかは、

自分がどれだけ大切にしたかで決まる。

これはすごく納得感や実感があり「なるほど」と思いました。

かんじんなことは・・・

王子さまは地球に辿り着く前に訪れた6つの星で、

地位、名誉、お金など色んな欲に目がくらんだ大人に出会います。

そして地球で、上でも登場したキツネはこう言います。

「かんじんなことは目に見えないんだよ。」

このくだりを見てハッと思ったのは、もしかするとこれからの時代は

かんじんなことが目に見えるようになる時代なのかもしれない

ということでした。

確かにこれまでの資本主義経済では、これらの「かんじんなこと」の価値は

唯一の客観的価値尺度である「お金」に換算することが難しかったため、

「目に見えないもの」だったと思います。

けれど社会が豊かになり、その価値尺度があまりに実態の価値とかけ離れて来たため、

「目に見えないかんじんなこと」の価値を顕在化、つまり「目に見えるように」し始めているのが

今の時代なのかもしれません。時間、信頼、個性といったものがトークンという形で可視化されていく時代。

そうなっても依然として「かんじんなこと」はやはり目に見えないものとして残るのか、

これは面白い時代になりそうだと心密かにワクワクしてしまいました。

sukekiyo 二〇一八公演 「嬲り地獄」 - 漆黒の儀 - @マイナビBLITZ赤坂 2018年2月16日

2018年2月16日(金)、
僕が入信している宗教(一般用語で言う所の"バンド")「DIR EN GREY(以下DIR)」の
教祖(一般用語で言う所の"voice"、更に噛み砕くと"vocal"に近いもの)である京さんが率いる
もう1つのバンド「sukekiyo」のライブに参列して来ました。

「嬲り地獄」 - 漆黒の儀 - @マイナビBLITZ赤坂

毎回「お客様にとっての喪服でご来場下さい」との注意事項の書かれたこのライブ。
これまではなんだかんだでDIRのライブに行く服装(これでも一応黒一色になります)で
参列していましたが、なんとなく今回のライブは襟を正して参列したい気分だったので
ガチの喪服を着て参列して参りました。この日は京さんの誕生日でもあるので、
本当に喪服で良いのだろうかという思いもありつつ、
漆黒の儀やsukekiyoのコンセプトを鑑みれば多分これが真摯な向きあい方なのでしょうと信じて。

定刻のブザーが鳴り、緩やかに暗転すると共にDIRのライブでお馴染みの半透明な幕(=スクリーン)が降りて来る。
映し出される映像に目を奪われていると、いつの間にか既にメンバーが幕の背後に。

出だしからいきなり聴き覚えのない曲。噂の新曲の中のどれだろうか?
スクリーンに映る歌詞を視てこの曲が【こうも違うモノなのか、要するに】であることを理解。
京さんの第一声を聴いた瞬間目頭が熱くなり「いやいやちょっと待て待て。早過ぎでしょ?」と自分に突っ込みを入れる。
何せ京さんの声聴くの昨年の10月ぶりだったので致し方ない。ここ最近、新たな一歩を踏み出すために色々と模索する中で「凄いなぁこの人」と尊敬する人が沢山できたけれど、京さんはやはり自分にとって完全に別格の存在であることを改めて思い知らされる。
つまり何が言いたいかというと僕の気持ち的にも「こうも違うモノなのか、要するに」。

お次は聴き覚えのある曲【グニャ結論。そして血眼。】。
京さんと目が合う(=妄想)。視線を外さない。「喪服着てガン視ってめちゃ怖いよな・・・」と思いつつも視線を外さない。
続く【襞謳】。どんどん引き込まれていく。本当に表現者の中で天才を超えて神の域。
この感覚は他のどんな存在からも得ることがない。狂ったように「敏感でしょ?」。
【純朴、無垢であろうが】。綺麗なピアノのイントロ。ギターのテイストが原曲と異なるけれどもそこがまた良い。
こめかみに指を当て「頭飛ばして来い」と言わんばかりの京さん。
京さん指折り数えて「3!2!1!」→オーディエンス(虜という表現使えないの不便だな・・・)頭ブンブンブン!
マニエリスムな冷たい葬列者】後ろのカメラに向かい京さん顔面どアップ。「もうドロドロ」。
そして再び聴き覚えのない曲(後に【kisses】と知る。)。

【艶】。「逢いたくはないこれ以上は」。思いがけずまた目頭が熱くなる。
再び京さんと目が合う(=妄想)。涙しそうになり目を細めながらも負けじと睨み返す。
「強請る愛じゃなく、自然のままに」
とそこで後ろからファンの方のすすり泣く声が!「ちょっと待てーー!!反則やろがそれはーーー!!(TT)」
もう雪崩の如く崩れ落ちました・・・(T_T)。負けました・・・(;o;)。
しかも京さんも感極まり所々歌が途切れる。sukekiyoではいつも淡々と歌う京さんが珍しくリミッターを外して感情を撒き散らす。
sukekiyoのライブでかつてないほど涙しました。

音源通りの流れで【首吊り遊具】。曲終了後に幕に電流が走るように白い縦のラインがユラユラ。
アナログとデジタルが融合したような不思議な世界。トランス状態のようで心地よい(※経験ないですけど)。
そのままイントロに繋がり【されど道づれ】。

「え!!?ここで!!?」というタイミングで【雨上がりの優詩】。からの【12時20分金輪際】。「静かにして」口元に人差し指。
ここで再び聴き覚えのない曲。「まだ新曲あるんだ!?」と思いながら聴いていると何かの曲に似ている。
間違いない。これは・・・。和田アキ子!(の【古い日記】という曲名は後から知る。)
しかもキー超高い。「あの頃は!」って血管切れちゃうよ。本家のオク上くらいで歌ってるんじゃなかろうか(笑)。
確かにDAMチャンネルのインタビューで「歌ってる」とは仰ってましたが、アレ本当だったのか・・・。
そして何事もなかったかのように【耳ゾゾ】。変な夢でも見ていたのだろうか・・・。
【黝いヒステリア】。橙色の照明を逆光にメンバーがシルエットとしてそびえる。想像していなかった演出から曲の新たな温度感を知る。

【斑人間】。ADRATIO以外の曲が多くなることでこのあたりからライブの空気が序盤の世界観を強く打ち出したものから、
フラットな空気へと変化。お客さんも自由に頭を振り始める。
【死霊のアリアナ】【vandal】と畳み掛ける。楽しい楽しい。

【anima】。昨年アンコールで泣かされた曲。今年は負けない。
「それでも私傍にいていいですか」。原曲部分終了後にアドリブで紡ぎ出される歌詞。
「・・・愛して下さい。」。会場からすすり泣く声。
【嬲り】「同種」の文字がスクリーンを泳ぐ。
エンドロールが流れ本編が幕を閉じる。

「おやすみ」

鳴り止まない拍手。

ほどなくしてスクリーンに文字が映り「おぉーーー!!」と沸くも
マダラニンゲンの宣伝で会場に笑いが起こる。
続いて「sukekiyo 二〇一八年公演」の文字が映り「おぉーーー!!」と沸くも
「逆襲の嬲り地獄」のタイトルに再び笑いが起こる。
そして新曲の告知、というかリリース宣言。
「kissesという曲が好きなのです。理想的には来年。理想的という意味では今でもいいのか。今だといいな。」
「ではまた」※超適当ですごめんなさい。雰囲気だけお楽しみ下さい。

「本日の公演は・・・」のアナウンスが流れても鳴り止まない拍手。

暗転。

怒涛の押し発生(→我が喪服のご臨終を覚悟する)。

メンバー登場。

京さん「本当に感謝しているのはこっちの方なんで・・・」。→必死に涙をこらえる。
京さん「random diaryっていうのがあって・・・そこに・・・」。→ちょっと良く聴き取れなかったけれども後でdiaryチェックしなければならない使命が発生したことだけは理解。
京さん「まだメンバーにも何演るか伝えてないけど」→会場が明るい歓声で満たされる。
京さん「leather field」

【leather field】。「傷無しではもう生きられない」大合唱。

京さん「まだ行けんでしょ?」「まだ足りないんで。」→完全にsukekiyoのライブであることを忘れ「京ーー!京ーーー!」叫ぶ。
京さん「xxxx」→「何て???(最近老化現象で耳が遠い。。。)」
京さん「xxxズ」→「???もしや新曲???」
近くのファンの方「dunesだって!」→「あぁ!(知ってる曲だった!)」

【dunes】。合唱「滴る・・・」→自分「滴る・・・なんだっけ!?(モゴモゴ誤魔化す。)」
ようやく滴るのは『人間』であることを思い出す。でももはや合唱は終わりリベンジのチャンスは失われた。
歌詞忘れを隠すように必死に人間を被る。

京さん「まだまだ足りないんで。」「まだ行けんでしょ?」
京さん(メンバーの方を見ながら)「まだ行けんでしょ?」
京さん「お前らの声聴かしてくれー!」

【zephyr】。艶、animaと並んで大好きなこの曲。最高か。
「好きな色を合わせ観る世界 綺麗だと」大合唱。
「苦しめた君の忘れ様の無い」大合唱。凄く声出てて、これ後で映像化して欲しいと思った。

「貴方に幸せを」

「京ーーー!!」「京ーーー!!」ありったけの声をぶつける。
一緒に参戦していたMさんが「ありがとーーー!!!」
「おぉ!それだ!」と思い自分も続けて「ありがとーーー!!!」

これまで僕が参列したsukekiyoのライブ史上、最高のライブでした。
その歌声を聴く度に、毎回ざわついた雑念をきれいさっぱり洗い流し
自分をリセットというか、本来の立ち位置に戻って安定することが出来る。
そして明日からまた地に足をつけてがむしゃらに生きて行こうと思える。
本当にありがとう。

そして最後にこのライブに素晴らしい整番で参列させて下さった
虜友だちのMさん、本当にありがとうございました。

ホリエモン万博

2/3(土)、2/4(日)に六本木で開催されていたホリエモン万博に行って来ました。
「万博」という名が付いているので、きっとめっちゃテンション高くお祭り騒ぎに
なっているのだろうなと思いきや、
予想外に落ち着いた雰囲気で、ある意味僕にとっては居心地の良い空間でした(笑)
聴講したトークショーをまとめておきます。

前田裕二さん×箕輪厚介さん

「人生の勝算」を読んで初めて知った前田さん。本の感想をツイートしたら即刻「いいね」頂いて「なんて優しい方なんだ!(TT)」と思っていましたが、実際優しさオーラ半端なかったです(笑)「人生の勝算」を読めば分かるのですが、到底真似できないような超人的な頑張り方をされているにも関わらず、この物腰の柔らかさは本当に格好良いです(因みに前田さんルックスも超イケメンです笑)。印象に残ったのは、最後のお二人に対する「どんな人に魅了されますか?」との質問。箕輪さんは「自分を持っている人。水と油がどんなに掻き混ぜてもちゃんと分離しているように、周りがどんなであっても変わらない信念を持っている人。」と答えられていて「うんうん!そうですよね!」と何度も首を縦に振りながら聞いていました。対する前田さんは「2つあります。1つは前向きな隙のある人で、誰よりも頑張っているにも関わらずどこか抜けた所がある人。そしてもう1つは『優しい人』です。」。説得力200%(笑)。西野さんの100kmマラソンのエピソードを出しながら「こんなに優しいんですよ」とか仰っていましたが、いやいや貴方も全く負けていませんからという感じでした(笑)。お金が信用を可視化した物だとすると、優しさってその人がどのくらい頑張って生きてきたかを可視化し物なのかもしれないな、と思いました。

乙武洋匡さん×堀江貴文さん

序盤から不倫の話をしたがる堀江さん(笑)を他所に、パラリンピックの話に。乙武さんのお話では、最近パラリンピックで打ち出された記録がオリンピック記録を上回るケースが出始めているのだそうです。「実はあれはサイボーグなんだってことに周りの人が気付き始めた」という話になり、「なるほど!」と思いました。ここ最近のテクノロジーの進化が社会にもたらしている変革は、一言で言うと「多様な生き方が許される世界」への変革だと思っていたのですが、こんなところにもその1つの事例を垣間見ることができるのだなー!とこれは新たな発見でした。テクノロジーによってこれまでの「健常者/障碍者」というカテゴライズが意味を持たないくらい曖昧になり、人1人1人の顔が違うというのと同じような「1つの個性」になっていくんですね。そして終盤はいよいよ(!?)不倫の話題に。堀江さんの「俺の知っている既婚者は100%不倫している」の言葉には仰天でした(笑)。「今後医学が進歩して平均寿命がこのまま延びたら、80年以上も1人の人とだけってことになる。それは無理がある。」というような話をされていて、なるほどなーと。お互いに「不倫してもOKよ」っていう人同士だったら、それはそれで1つの価値観なのかもしれませんね。僕自身はそれをすることによってその80年連れ添うたった1人の人を悲しませたくないし、何より同じことをされたら僕自身も傷付くと思うので、その価値観にはなれないですけれども。そこも色んな価値観があって自然なのではないでしょうか(これを無理くり1つの価値観に絞ろうとすると、先日の文春のような悲劇を生むのだと思います。。。)。

はあちゅうさん×ゆうこすさん

このトークショーの直前に、はあちゅうさんの「自分を仕事にする生き方」を読了しました。その本の中に書かれていた「質問をすることが大人としての会話のマナー」というのを文字通り凄い勢いで体現されているなーと感じました(笑)2人の対談ではなくてはあちゅうさんがインタビューアーのような不思議なトークショーでした。ゆうこすさんのお話では、これがトークショーの時だけでなく普段プライベートで会っている時もそうなんだとか。それともう1つ印象に残ったのはvoicyというアプリの紹介をされていた時の一節。「こういう話を聞いてすぐに試してみる人とそうでない人って、いっつも決まっている」。僕は後者の「試してみない人=行動力の低い人間」な自覚があるので、この日は「よし!帰ったらすぐ試すぞ!」と息巻いていましたが、音声onlyのコンテンツってどうも苦手で「何が楽しいのかな?」と思ったっきり結局今に至っています。。。こういう所が駄目なんだよなぁ。。。ちょっとこれ書き終わったら試してみます!

西野亮廣さん×堀江貴文さん×箕輪厚介さん

今回一番楽しみにしていたトークショーでした!きっと今回はレターポットの話が聞けるに違いない!と思っていたのですが、冒頭西野さんが「今日これなんのトークなんでしたっけ!?」「あぁ!単にグダグダ駄弁る感じね!」となり「えぇーーーーー!?」/(^^)\まぁレターポットの話はブログで読めますからね(笑)しかし西野さんのトークの盛り上げ方は流石プロだなーと思いました。安定感は今回の数あるトークショーの中で群を抜いてましたね。やっぱり芸人さんでもあるんだよなーと感動しました。そしてご存知の方が多いと思いますが、この後ハレの日被害に遭われた新成人の皆様のリベンジ成人式があり、そこへ西野さんは向かわれるのですが、堀江さんから新成人の皆様へお年玉が!袋の中身はなんと・・・NEM100円分(笑)。「これ誰かが怒られますって!」と西野さん。こういう風刺を効かせつつ、ちゃんとメッセージ性もある演出、大好きです。

佐藤 航陽さん×堀江貴文さん

西野さんと同列一位くらいで楽しみにしていたトークがこちら。著書「お金2.0」が爆発的売上を上げているメタップスの佐藤さん、と堀江さんです。「お金2.0」は既に佐藤さんの中で固まって完成している状態のものを、あとはいつ出そうかな?という状況だったそうです。結果として、絶妙のタイミングでの出版となったと。これは僕みたいなお金素人から見ても本当にそう思います。なんとなく僕の中でも既に肌感覚としてモヤモヤ感じていたものをこの本が「それはこういうことなんだよ」と綺麗スッキリ整理してくれた感があったし、何よりその本で描かれている「価値主義」の世界を、実際に簡単に試すことのできるレターポットやタイムバンクのようなサービスが既に身近に存在しているので、読んだ後すぐに試すことが出来るんですよね。これがもし3年くらい前だったら何のことを書かれているのか恐らく理解出来なかったと思います。佐藤さん「堀江さんって(発信する時期が早すぎるので)2周目くらいでやっと世の中に理解されますよね。」に対して堀江さん「俺は固定ファンの人がいてくれるからリリースのタイミングとかあんまり気にしていないんだよね。出したい時に出してしまう。そしてたまにベストアルバムみたいなのを出すとドーン!とファンの層が広がるんだよね。」というのを聞いて、なるほどー!と。DIR EN GREY(僕の好きなバンド)はこっちなんだわーと一人で納得。ファンだと理解出来ないものでも意地でも頑張って理解しようとするし、逆にそこにインセンティブが働いたりしますもんね(ただ、DIRはベストアルバム出してもファン層が固定されたままの気がして、そこはちと違うかな。)。今後は、佐藤さんの中でもまだ完成されている訳ではなく「こうなるかなー?」という感覚のもう少し先の将来について、「国家」、そして「現実」、をテーマにした本を執筆予定とのこと。めっちゃ楽しみです。

西村博之さん×堀江貴文さん

ご存知2ちゃんねるの開設者のひろゆきさん、と堀江さん。DeNAの井納選手の訴訟の話題になり、ひろゆきさん「堀江さんも同じような悪口たくさん受けてるんだから、全部訴訟起こしたらビジネスになるんじゃないですか?訴訟担当課みたいなの作って。」堀江さん「あぁ。叩かれれば叩かれるだけ儲かるみたいな?」。これ聞いて、あぁ炎上を早期にマネタイズしようとするとこういう形になるのかなーと思いました。これに対して、マネタイズのタイミングを遅らせるやり方が西野さんがやられているような、炎上の中でファンを拡大していくやり方ですよね。なんかこうやって並べてみると確かに「お金に換える」と一気に温度感がなくなるというか、面白味(というと語弊があるかもしれませんが)が消えてしまうんだなーと、また新たな発見でした。

まとめ:やっぱり「変わっている人」って面白い

今回のトークショー、どの方も共通していたのは「普通じゃない」こと。どこか変わってるんですよね。だから話を聞いていても「何が飛び出すんだろう?」とワクワクする感覚があって引き込まれます。そしてその独特の感性で「楽しい」と感じているものに対して夢中になって生きている所も共通しています。脇目も振らずに全力で「楽しんでいる」感じが伝わって来るので、どこか爽快感があって聞いているこちらも自然と「なんか面白いことしたい!」というアクティブな気分にさせられます。よし僕も、もっともっと面白おかしく生きるぞー!

追伸

家に帰ったら、奥さんの部屋にガンダムのコックピットが構築され始めていて、「あぁ、こんなにも身近に変わった人、楽しい事に夢中になってる人いたんだわ」と思い知らされました・・・。負けないぞ!

既知の科学的真理を体系立てて整理するプラットフォームを作りたい

 前回のエントリーでお金や産業の発展のために「役に立つ発見をする」コミュニティではなく、純粋に人々の知的好奇心を満足させることを目的として「科学的な真理を探究する」コミュニティを作れないか、という話を書きました。因みに「科学的」とわざわざ書いているのは決して「哲学を含まない」ということを言いたいのではなく(寧ろ積極的に含めたい)、単に「真理」と書くとカルト宗教的な話と勘違いされそうだからです・・・。話を元に戻すと、仮にこのようなコミュニティが出来たとして、明らかに足りないなと思うのが、この活動を行うためのプラットフォームです。まさにこのエントリーを追加する「はてなブログ」というプラットフォームがあるように、「科学的な真理」を追記・蓄積・共有するためのプラットフォームが必要だと思うのです。どのようなものかイメージが湧きにくいと思いますので具体的な例を挙げます。例えば僕は大学院時代に物性理論の研究室で「強相関電子系」という分野の研究をしていました。恥ずかしながら当時は(いえ実は今でもなのですが・・・)この強相関電子系、もっと大きくは「物性物理学」という分野が全体として究極的には「何が判ることをゴールとして」研究しているのかが良く理解出来ないままに研究をしていました。それでも目の前の問題を考えること自体が楽しくて仕方なかったので脇目も振らず夢中になって研究をしていましたし、何よりアカデミックな世界に進むことを考えていたのでとにかく目の前のテーマで実績を上げなくてはという若干の焦燥感もありました。しかし、もしも仮にお金のことを全く気にせず、純粋に知的好奇心を満たすことだけを目的として活動するコミュニティがあったとすると、そこではこの「最終的に何を明らかにすることがゴールなのか」は極めて重要になると思います。なぜならばお金の縛りがなくなった場合、次に有限で貴重な資源となるのは「時間」だからです。科学はどんなテーマであれ、深く掘り下げていくと好奇心をくすぐられるものが必ずあります。しかし人生は限られています。全てのテーマを掘り下げ尽くすことは不可能です。なので有限な人生の中で、自分が本当に知りたいことは何なのか?をよくよく見極めてから掘り下げることは非常に重要だと思います。なので、コミュニティに属する人が以下のことを自由に、簡単に行えるプラットフォームが必要になってくるのではないかと思っています。

  • 科学全体としてどんな真理を発見しようとしているのかを俯瞰することができる
  • 個々の真理についてどのくらい研究が進んでいるのかを俯瞰することができる(例えばエントリ数の多さなどから)
  • 個々の研究テーマが全体のどこを解明しようとしているのかの位置付けを確認することができる
  • 既知のエントリ(=研究成果)が全体のどこを解明したことに相当するのかを確認することができる
  • 全体を俯瞰した上でもっと深く知りたい、掘り下げたいと思ったテーマについて既知のエントリを調べることが出来る
  • 既存の研究テーマ(発見しようとしている真理)の中に、自分が知りたいと思うものがなければ追記出来る
  • 既知の研究成果で未登録のものがあれば追記出来る
  • 自分で新規の発見をした場合には追記出来る
  • 誤っていると思われる記述がある場合には修正することが出来る

 イメージとしてはWikipediaのようなもので、それをもっと目的志向にしたものでしょうか。イメージ図はざっくり↓のような感じです。(こういう絵を描くと自分のレベルがいかに低いかが露呈してしまうのであまり書きたくないのですが、今更隠しても仕方ないのでもはや開き直ります。)みんなで成長させていく「科学の真理の木」みたいなイメージでしょうか(木が表現方法として適切かはさておき、こうやって全体を整理するフレームワークということです。)。こういうものがあったらいいなぁと。
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 少し話が脇道にそれますが、このようなプラットフォームは本来であれば現状のアカデミックな世界で既に構築されていても良いような気がするのですが、何故存在しないのでしょうね?もしも僕が薄学なために知らないだけであるとすれば何卒ご教示頂けますと大変助かります。

 とにもかくにも、現状このようなものが見当たらず、僕が趣味で勉強・研究する上でもこういうのがあるといいな(ないと困るな)と思うので、まずは僕一人の知識の範囲内で作れる部分を作ってみようかと思っています。と思いましたが、仲間がいた方がモチベーションが上がるので、前回のエントリーに書いた学友のT君を年明け早々から道連れにさせて頂きました(笑)。また進展があったら書きたいと思います。