この世の色々な法則を探求するブログ

「この世界はこういう仕組みで成り立っている」という真理に思い焦がれつつ、死ぬまでに1つでも多くの法則を理解・発見するために日々生きております。これまで生業として来た物理学、数学、人工知能などの分野を中心に、日々の考察日記を綴っていきたいと思います。

科学的真理を価値としたコミュニティを作れないか

純粋に真理の探究のみに価値を置くコミュニティの不在

子どもの頃は、純粋に知的好奇心を満たすことそれ自体を目的として、大学で研究に没頭する将来を夢見ていました。しかしながら大学、大学院で実際に研究に従事するようになると、大学の研究者といえども、多くの人(その人の能力にかなり依存する)は決して興味の赴くままに研究ができる訳ではない現実を知ることになります。まず、研究者個人が食べて行くためには論文を書かねばならないので、なるべく固い所でコンスタントにアウトプットの出せる研究テーマを選ぶ必要が出てきます。なので、例えば素朴には量子力学の解釈問題などは、現代物理学が現象をどこまで記述し得るか(もしかすると記述できない現象が存在するかもしれない)に関る非常に重要な問題に思えるにも関わらず、長らく結論が出ていないテーマであるが故に今ではタブー視されるようになっています。更に、研究室として食べて行くには研究資金を獲得する必要があり、そのためには「この研究をするとこんな風に世の中に役に立ちます」というアピールが必要になります。本来物理学や数学などの基礎学問は科学的真理を発見することそれ自体で、それが技術的に応用可能かどうかとは全く無関係に「人類の知的財産を増やす」という形で「世の中の役に立ちます」と堂々と言えるはずだと思っています。しかしそれだと予算を獲得しにくいのでかなり無理やりな形で「こんな技術的応用に繋がります」みたいなことを枕詞に入れることがままあり、これが却って基礎学問の価値が一般の人々に正しく理解されない元凶となり、悪循環を生んでいる気がします。

全てはお金にならないことが原因

以上は僕が10年以上前に経験した出来事ですので、現在は少し状況が変わっている部分もあるかと思います。ですが、アカデミックポストに就いた友だちの話や、ニュース等で漏れ聞く限り、少なくとも好転はしていなさそうに思えます。なぜこのような不幸な状況になっているのか?それは元来直接的にはお金とはほぼ無縁の活動である「真理の探究」という活動を、生活の糧とする(すなわちそれをしないと食べて行けない)「学者」という職業が出来てしまったからなのではないかと思っています。学問が職業化する以前は、研究は貴族の暇潰しのためのものであり、それをしなくても当然食べるには困らないことから、今よりも「本質的に面白いテーマ」に取り組めているように思えます。ところが産業革命によって科学が「場合によっては」技術的に役立ち産業発展に大いに貢献する(すなわちお金になる)ことが判り、国をあげてそこに投資するようになります。こうして元来お金と無縁の活動であるはずだった「科学」は、産業への直接的な貢献度合の高い「技術」と結びついて「科学技術」という概念になることでお金を獲得するようになります。しかしながら、それは裏返しとしてお金に縛られるようになることと同義で、このことが却って「科学」本来の目的を歪めるようになったのではないかと思っています。

近い将来、科学がお金から解放される日が訪れるかもしれない

ここで一旦ガラッと話が変わるのですが、何度かここのブログで書いた「お金2.0(佐藤航陽さん著)」に書かれているような経済の変化が起こると、お金のコモディティ化が起こり人々は必ずしもお金のために働かなくても生活するには困らなくなる時代が近い将来訪れる可能性があります。僕はもしもこれが起こると、科学が2つの意味でお金から解放されるのではないかと思っています。1つはプロとして「お金を稼いで」研究しているアカデミックな研究者が、かならずしもお金を稼がなくて良くなり、本来の「真理探究」のみを目的として研究テーマを選択できるようになるという意味で。もう1つは現在「お金を稼げない」が故に趣味として余暇の時間のみを使って科学に関っている人達が(望むなら)「お金を稼ぐため」の仕事から解放されて好きなだけ「真理探究」に没頭する機会を得るという意味で。

科学的真理を価値とするコミュニティを作れないか

上記の「お金2.0」では、これまで資本主義というお金を価値とする唯一の経済圏で暮らしていく選択肢しかなかったのが、近い将来、技術の発展のお陰で様々な経済圏を簡単に作ることができるようになり、それぞれの経済圏が独自の価値で形成されることが予見されています。ビットコインはその先駆けだと考えられますし、「時間」を価値とするタイムバンク、「信用」を価値とするレターポットなど、昨年末から今年にかけて資本主義とは異なる新たな経済圏を形成する試みが実際に続々と起こっています。そこで僕自身なら何を価値とするコミュニティに所属したいだろうか?と考えた時、純粋に知的好奇心を満たす「科学的真理」に価値を置くコミュニティが出来ないだろうか?という考えが(今はまだ完全なる思い付きレベルですが)ふと頭に浮かびました。これまでにも何度か、趣味レベルでそういうコミュニティが作れないかと考えたことはあったのですが、学問を本気でやろうと思うと結構なバイタリティとモチベーションを要するので自分だけならいざ知らず、そういう同志を募るのはかなり現実的でないだろうなと思っていました。しかし、もしも本当に多くの人がお金のための労働から解放される時代が訪れたとしたら、同じ価値観を持つ仲間が集まる可能性が結構あるのではないか?と思いました。まず大学や大学院時代にアカポスの現状を知って、非常に優秀であるにも関わらずその道を断念した方々。この人達は(お金を稼がないという意味で)アマチュア科学者といえど、能力的には申し分ない方々が沢山いると思っています。もしも万一このような全国(あるいは全世界!?)に眠れる科学者が皆目覚めたら、科学の世界に相当なイノベーションが起こる可能性があるのではないかと思っています。次に、もしもお金のために働く必要がなくなったとすると、みなさん相当暇になります。そうなるとこれまで科学にどっぷり浸かったことのない一般の方も、それらに興味を持つ機会が増えるのではないかな?と期待しています(ちょうど昔の貴族のように)。例えば「この世界はどのように誕生したのか?」や「人の意識とは何なのか?」って、もしも暇さえあれば、興味を持つ人が少なからずいてもおかしくないような気がします。これらの人達が集うコミュニティをもしも作ることが出来たら夢のようです。と、こんな突拍子もない夢物語を、中学時代より学問の喜びを分かち合って来た親友のT君に話をしたら、ものの30分足らずでストンと言わんとしてることを理解してくれてその驚異的な読解力に感服しました(笑)。そうそう、貴方みたいな人が集うコミュニティを作りたいのです(笑)。ここまではあくまでコミュニティの話。経済圏を作るにはメンバーだけでなく、システムが必要になります。そこについてはまた別途書きたいと思います。